激寒のモントリオール
 
第15回国際美術映像フェスティバル
                      
岸本 康

 第15回国際美術映像フェスティバルは、コンペ41本、パノラマ77本、企画上映として監督ブラックウッドの回顧8本、テクノロジー映像の11本、カメラをテーマに13本、ポンピドー制作の回顧9本の合計159本の上映が市内5箇所のシアターで、3月10日から7日に分けて行われました。
 15回の歴史ある映画祭であるためか、美術館などの上映場所には、ほとんど地味な案内しか無いのにもかかわらず毎回5箇所のどの会場も動員は凄く、夜中1時に終わるような映画にも多くの人が来ていたのには驚きでした。また、深夜に上映が終わっても熱心すぎる質疑応答などもあり、こういう人達と対等に仕事をして行かなければならないのかと思うと、もう一度1から心身共に鍛えなければと思うのでした。
 カナダ、アメリカは勿論、ヨーロッパからも多くの美術関係者が来ていました。ルーブルやポンピドーも若手を送り込み、私もいろいろと情報を交換(主にもらうばかり・・)したりして、友人も増えたのですが、日本からは私とユーロスペスの清宮さんだけという寂しい状態は、全く勿体ないと思いました。

モントリオール現代美術館
〈出品作品について〉


 美術に限らず芸術の様々なジャンルの映像郡は、内容・映像共に、高いレベルで作り込まれたものが多く、私が見た26本はそれぞれに計り知れぬ努力を感じられるものがありました。
 いくつか印象に残ったものを紹介すると・・・・
 特に素晴しかったのは、BETWEEN TWO WORLDSと題されたニュージーランドのGARETH FARRという現代音楽の若手作曲家のドキュメンタリー。彼はまだ、日本ではあまり紹介されていないと思いますが、正統派の現代音楽の作曲家と、自らが女装をして舞踏舞台に活躍するという二つの局面が、ニュージーランドの美しい背景を舞台に興味深くおもしろく描かれています。(また、彼は大変な美男子で、清宮さんは大変お気に入りでした。)
 また、中国の新しいモード・ロック・美術を通して若いエネルギーの流れを紹介して行くCHRONIQUES DE CHINE も中国の政治的な問題も含めて、印象的な作品でした。
 現代の映画そのものの映像構成を皮肉った、TWO IMPOSSIBLE FILMSは、クールにかなり笑えるもので、制作者の頭の良さと美的センスを感じさせる物でした。なんと、ラストクレジットには、スタッフは勿論、この映像に写っている人全ての配役と名前が出てくる。たとえば、「最初に通りかかる人」誰誰とか、「最初のウエイトレス」誰誰とか・・・。

会場のひとつ CCAカナダ建築センター
 日本からの出品は私だけでしたが、日本の芸術を紹介するものは5本ありました。STRUGGLE FOR HOPE、MAGICIENS TEXTILE DU JAPON、JAPAN: THREE GENERATIONS OF AVANT-GARDE ARCHITECTURE、SAM FRANCIS(日本在住の部分が大部分を占める)、SANKAI JUKU...
 外国人のディレクターが扱った物のほうが多いという状況は実に情け無いし、日本人から見るとちょっと日本を神秘的に演出しすぎていたりして、文化を伝えるという意味では少し危機感を持っても良いのでは無いでしょうか。
 この中のSAM FRANCISは、75年完成のフィルムですが、主に60年代にサム・フランシスが赤坂にアトリエを持っていた頃の映像で構成されていました。ディレクターはMICHAEL BLACKWOODで、企画上映で回顧的に8本の映像が紹介されました。
 BLACKWOODのドキュメンタリーは正統派で、現代の切り口の面白いものと比較すると退屈に感じる部分もありますが、サム・フランシスのドキュメンタリーには、年代を回顧するに十分な素材が含まれていました。 当時の東京で開かれた個展には、イサム・ノグチや瀧口修造が笑いながらビールで乾杯する。そしてそれをサム・フランシス本人がいろいろと解説する。「瀧口はリタイヤしていて、もうあまり多くを語らない。」とか・・。16ミリのカラーフィルムは既にセピヤ調に変色していましたが、記録されている内容は実に説得力のあるもので感銘を受けました。

 MICHAEL BLACKWOOD本人も来ていて、サム・フランシスとフィリップ・ガストンの作品については、「彼等にとって早すぎもせず、遅すぎもしない時期に撮影が出来た。」と話してくれました。80本以上もアート・ドキュメンタリーを作り続けてきた世界の先駆者の発言としても興味深いものです。 
夜遅くまで上映のあったGOETHE=INSTITUT
 お笑い部門(そんなものはないですが)では、「ターザン」を歴史的にかつ文化的に検証したANATOMIE DE TARZANがオープニングでも上映され笑いを取っていました。地元のFM局のDJも翌日の番組でアァーアァーの連発でその面白さを語っていました。また、フランスのコレクターであり、画廊を経営するおしどり夫婦の珍道中を解説なしで淡々と70分も笑わせるUN MARCHAND, DES ARTISTES ET DES COLLECTIONNEURSもよく撮られていました。また、私としては犬が少し可愛そうだと思いましたが、WEGMAN'S WORLDもなかなかの評判でした。ただし、72分はちょっと長い。また、訳の分からない特筆ものは、現代音楽の弦楽四重奏を4台のヘリコプターに分乗し、地上と交信を取りながらライブ演奏するドキュメンタリーHELICOPTER STRING QUARTETは、コンポーザーのじいさんの至って真面目な取組に演奏者も呆れながらも熱心に取り組む様子が、微笑ましい作品でした。ディレクターのFrank Schefferも会場に来ていましたが、そのちょっと狂気的な感じがパナマレンコを彷彿させる人物でした。
 いい気分にさせてくれるのは、やはり音楽もので、ボサノバのイパネマの娘のフレーズを誰もが口づさむTHE GIRL FROM IPANEMAは、南米文化の一端を紹介する親しみが持てるものでした。また、BILL EVANSは、流れる様な指使いで、おなじみの曲を演奏するありし日を淡々と紹介し、サイドメンも興味深く、ジャズファンには渋めの作品です。
 クールなところでは、イタリア制作の主にアースワークに興味を示すコレクターの活動を描いたEGIDIO MANRZONA:ART COLLECTORの中で、リチャードロングのサハラを主人公が見るシーンが印象的でした。
 また、現代美術館のシアターの前にCD-ROMの作品を鑑賞出来るスペースが公開されており、インターラクティブ系のものが日変わりで展示されていました。

〈廃墟から光への上映について〉

 14日金曜日の夜8時と最終日16日の日曜日の夕方4時からの2回の上映がモントリオール現代美術館のシアターでありました。
 現代美術館のシアターは300人程度の客席がありましたが、日曜日の上映は、ほぼ満席という状態でした。2回とも上映の前にスピーチをする事を勧められて、「自然災害に対して芸術が何をできるかというテーマは、とてもデリケートですが、みなさんにも少し考えて頂く機会を持っていただければ幸いです。」という様な事を話しました。
 反響は思っていたよりも全く凄いもので、上映の後には暖かい拍手を受け、「ありがとう・・・、とても感謝します・・」というようなコメントをもらったり、美術館関係者からは質問攻めに合うなど、とても興味を持っていただけた様で、岡部あおみさんがパリのキュレーター会議で発表した時と、多分同じ様な大変な反響でした。
 英語字幕がちょっと多くて、言語の問題があるにも関わらず理解頂けたのは大変良かったと思います。今回、この映画祭に参加出来て上映できた事は全くの成功だったと思います。

〈フェスティバルの運営について〉

 ここでも活躍していたのは、ボランティアスタッフです。アーティストや美術に興味のある人達で構成された運営スタッフは、各会場に3人くらいづつ配属されていて、連日、入場者の整理や上映の前説、ディレクーの紹介などを担当していました。また、会期前の運営スタッフとして企業からの援助を集めて回ったり、オープニングパーティーのチケットをパトロンたちに買ってもらったりしていたモントリオール在住の日本人、花野さんとも知り合う事が出来ました。彼女の話しでは、今回のオープニングパーティーのチケットはオープニングセレモニー、オープニングの上映、そしてパーティーを含めて150カナダドル。約15000円です。3時間位のイベントですが、300程度チケットを完売したといいます。日本ではなかなか、こういった個人レベルの支援の形をとっても人が集まらないのではないかと思いました。日本では美術館のオープニングに白昼高級車で現われる人がたくさんいますが、いったいどれだけのお金を落としてゆくのでしょうか。ほとんど只食いで、カタログもらって帰られるが関の山、日本の多くの公立美術館のオープニングは正に欧米のままごとなのですね。

映画祭の中心人物 レネ・ロゾン
〈Rene Rosonの話〉

 このフェスティバルに最初から関わり、そのエンタテイナー的なキャラクターで世界の美術会にインパクトを与えるレネ・ロゾン。彼は大学で美術史を学んでいたときに、このプランを思いついたといいます。そして一旦は美術関係の出版社に5年程就職しますが、その後実現し15年も続けています。
 フェスティバルの翌日、招待されたので彼のアパートを尋ねたら、まるでそこは美術館のように美しいスペースに保たれていて、壁にはお気に入りの作品がセンス良く配置され、ソファーや戸棚、照明まで計算された美の世界を作り出していました。部屋の天井高さが4メートルもあろうかと思うくらい高く、大きな道路に面した窓からは、手前に公園、遠くに丘が見え、その上に教会の十字架が光っているという、何とも信じられないシーンが、インスタレーションの様な雰囲気にしています。彼はその眺めのために、そこに住む事を決めたと言っていました。
 ジャズをリクエストすると、曲にあわせて照明をコントロールして、マイルスの曲に合わせて、部屋をほとんど真っ暗にしてしまいました。(外の方が明るい。)カクテルは「ケープコッダー」。これは、ウォッカをブルーベリージュースで割ってアイスとライムを加えたもので、多分ケープコッドのプロベンスタウンあたりのアーティストが語り合うためのカクテルの様でここまで来ると、ちょっと危ない感じでしたが、2時間以上いろんな話しをして楽しみました。
 私としては、世界で最も長く続いているアートフィルム・フェスティバルのディレクターとゆっくりと話しができた事は良い経験でした。「明日からまた来年のフェスティバルが始まる。」と言っていたのが印象的でした。

オープニングのあったボザール
〈モントリオールの気候と人々〉

 「激寒」とは聞いていたものの、これほど寒いとは思っていませんでした。0度だと「あたたかいなー」と感じてしまうのです。歩くという事は普通、体が暖まると思うのですがマイナス15度ともなると歩く程に体が冷えてきて、まるでバイクに乗っているような感じです。こんな環境の中でよくこれだけの都市ができたものだと関心しました。
 こんな厳しい環境ですが、そこに住む人々は信じられないくらい暖かいのでした。
 フェスティバルの関係者以外にも、何人もの人と友達になって、食事をしたり家に招待されたりと、とてもフレンドリーな人が多いのです。最初は、全く知らない人の家に行く事は、半信半疑の部分もありましたが彼等の懐の大きさに、大変勉強させられました。いつも忙しい忙しいと、人とのコミニュケーションを遮断しがちな、私にとって神と出会った様な気分でした。



〈今回の参加を通して〉

 15年間続けて来て、それがどんな事を生み出して来たかという答えは、まだまだ出ていないのかも知れませんが、様々な人が一体になって作り上げられている、このフェスティバルに参加出来た事は、大変有意義でした。彼等がこんなにも頑張ってくれているのだから、私ももっと頑張らねばと思いましたし、他の参加者もきっと同じ様に考えたと思います。きっとこういうコミニュケーションが、新しい文化を生み出して行くのではないかと思いました。

(1997.3 きしもとやすし/アート・ドキュメンター)

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