水戸芸術館
日本の芸術'60Sのインタビュービデオ制作記
岸本 康
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水戸芸術館で開催されている(11月23日まで)日本の芸術'60Sの導入部に、33人の時代の証言者が60年代について語るインタビュービデオが展示されています。今回の展覧会は美術・音楽・演劇の3部門合同の大がかりなもので、水戸芸術館としては初めての自主制作によるビデオの展覧が加わりました。
ちょうどアート・ドキュメンター・プロジェクトを立ち上げようとしていた頃、私と荒木に、たまたま声がかかりました。その時点では我々が知り合いである事も水戸芸術館のみなさんは御存じなく、単に東と西でちょうどいいやという様な事で連絡を頂いた次第です。
制作期間としてはベニスなどの海外展に荒木が出かける時期や台風の当たり年でもあったため、多少ハードなスケジュールでしたが、各部門から2人づつ6名の学芸員の皆さんとの珍道中が始まりました。
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ギャラリーに点在するモニターから
様々な60年代の話が飛び出す
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現在、60年代に活躍されていた方々は、それぞれ重責におられ、アポイントを取る事から大変だった様です。しかし撮影が始まってみますと60年代について語って頂くというインタビューは、芸術館の企画という意味からも、発言者の方にとっても興味深い内容であった事がインタビューの発言から感じられます。また、インタビューをする側がテレビ等のメディアの人ではなく、芸術の場に身を置くキュレーターが担当したことによって、直線的な発言が出て来たり、話しの幅が広がって、私にとっても60年代の熱情を十分に感じられる貴重な体験でした。
今回、発言されているのは、太田省吾さん、朝倉 摂さん、唐 十郎さん、清水邦夫さん、松本俊夫さん、森村泰昌さん、諸井 誠さん、葛井欣士郎さん、篠田正浩さん、後藤昭夫さん、池辺晋一郎さん、山口勝弘さん、岩城宏之さん、間宮芳生さん、武田明倫さん、中原佑介さん、佐藤友太郎さん、福住治夫さん、田中信太郎さん、吉村益信さん、ヨシダヨシエさん、小杉武久さん、一柳 慧さん、三善 晃さん、磯崎 新さん、針生一郎さん、松平頼暁さん、別役 実さん、石原慎太郎さん、林 光さん、湯浅譲二さん、柄谷行人さん、畑中良輔さんです。(順不同)
インタビューは40分から60分くらいお話しを頂き、それをビデオ映像として20分〜30分程にまとめていますが、トータルの時間は約16時間の超大作?とも言えるものです。(ですから、実は1日では全ては見られないのですが。)
共通したお話しの中には、「60年代は、ジャンルを超えた芸術家の交流があった。また、交流する場、街があった。」という事があります。
また、「情報が少ない時代は、アカデミズムに影響を受けずに、自由な発想で制作することが出来た。」という発言や、「芸術家の誰しもが、私がやらなくては誰がやるという様な熱き思いを制作にぶつけていた・・・。」という話しを聞くことができます。
印象に残っているところでは、「嘘だと思うかも知れないけれど、ほんとに昔は3時間しか眠らなかったのよ。」とエネルギッシュな朝倉摂さんや、「テントの中で観客が討論始めて、そのうちお客の間で喧嘩が始まっちゃったんですよ。」と、当時を熱っぽく語る唐十郎さんや、「新宿自体が劇場以上に劇場でした。」と葛井欣士郎さんが本当に当時の事が頭に浮かんで来るかの様に話しされたりしています。
学生時代、陸上部で箱根駅伝も走られた、篠田正浩さんの「駅伝の練習をしていて映像言語を発見した。」というお話しなんかも興味深い一つです。
今回の展覧会の監修をされている磯崎新さんの受けられた60年代の影響は、「そんな60年代の気分」だったそうです。また、60年代に現代の美術に目覚めた森村泰昌さんの話しには、「60年代の気分がかっこいい」という言葉が出てきます。いろいろな人の話しを伺うと共に、その時代の気分というものが、今回の展覧会のキーワードではないかと思えてきました。
90年代の気分があるすると、インターネット等のデジタル技術で様々なコミニュケーションが身近になった様な事を感じる「気分」もそんなものの一つなのかもしれないなと、磯崎新さんのお話しを編集していて思いました。
しかし、「人に会う。」「その場に行って話す。」「面と向かって議論する。」・・・という様な、人間的なコミニュケーションは、多分どんなに時代が進んでも変わる事の無い、最も「気分」を味わえる行為であり、そこから文化が作り出されて来た事を、発言者たちは、それぞれの立場から熱く語られている様な気がしています。
ギャラリーの展示の中では、吉村益信さんの当時のホワイトハウスに集まった作家たちの写真が、私にとっては大変印象的でした。
お話しの内容は芸術資料としても大変貴重ですが、それよりも、とても元気の出る「気分」の味わえる映像だと思っています。この60年代の熱き気分を60年代生まれの我々が記録できたというのは、大変幸運であると同時に、受け継がなければとも感じるのでした。
(1997.11 きしもとやすし/アート・ドキュメンター)
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