荒木隆久の撮影日記 2

<山口での撮影の巻>

8月10日午前6時。仕事を終え、羽田へ。しかし、山口宇部行きの飛行機は6時50分発。なんとか5分前にカウンターに駆け込み(お巡りサンゴメンなさい)、30kgの荷物と共にゲートヘ猛ダッシュ! まあ、とりあえず寝よっ。
 空港出口は、お盆で帰省する家族を出迎える人達で、普段この空港にはおそらく見られないだろう活気に満ちていた。今日と明日の仕事場になる県立美術館へはバスとJRを乗り継ぎ、のどかな風景の中最寄りの山口駅まで駅弁など食べながらすっかり旅気分を楽しむ。
水戸芸術館・現代美術ギャラリーで
撮影中の荒木
 今回は、埼玉にはじまり滋賀、そしてこの山口へ巡回して来た、ドイツのユルゲン・クラウケという人の個展の会場記録のお仕事で、ちょうど会期が夏だし実家も近いので..とか思っていたら甘かった。気をとり直してまずは美術館を一回り。まあ撮るのも3会場目だし、でも担当の学芸員の人に「会場は山口が一番大きいですから。」と言われていたのが気がかりだったが、その分見え方がすっきりしていて案外楽かもという気に。始める前にっと。ここのところずっとバタバ夕していて全然お金の持ち合わせが無いのに気付き、美術館の自転車をお借りして街へ、帰りになつかしいルーレット付き自販機に出くわし、コーヒー買ったらなんと大当たり! とこの調子で撮影も快調でした。

<又ヨーロッパ行くかの巻>

8月16日。昨日の仕事が思いがけずキャンセルになり、でもやはりいろいろ仕事を片付けると寝る暇がなくそのまま成田へ。ハイシーズンでしかたなくとったビジネスのただチケットでさすがに快適。とりあえずの行き先はフランクフルト。無事到着ーっ、いつものレンタカー屋へ。フィアッ卜の何とかという車でフランクフルトの街中の内藤サンのインスタレーションの場所へまず行き、あいさつしてから、ホテルを決めて、さぁ車でブラブラ。というところで(なんと鈍いことに)天井が開くことに気付き、ラジオから流れるクラシックを聞くとはなしに、郊外をあてもなくゴキゲンでドライブしたのでありました。
 翌8月17日、日曜日だったのか。ホテルで、朝食を済ませた後もウダウダ。ようやく昼頃に内藤サンとこへ出向きボーっと前のべンチにすわり、ふと見上げると、2ケ月位前にこの個展の看板を、太ったオッちゃんが手慣れた様子で貼っていたのを思い出し、そんなことを内藤サンに話したら、さすがにその作品をつくった人はそれどころではない思い入れがある訳で、作家とか作品、つくるということなんかについて考えたりしました。そんな感慨にひたっていながらも会期の最終日、終わりの時間は刻々と迫っていて、予約満杯で本トは撮影させてもらえる時間も無いのに、一時間毎に内藤サンが作品をチェックしに入る時にいっしょに入って行って、何とかテープ一本、30分位撮らせてもらいました。そんな訳で、なんとなく淋しそーな内藤サンとごはん食べ(させてもらっ)てる時、「なんか他の惑星の生き物が私の作品のところに降り立って、じぃーっと作品を見回してるみたい。」だったと、ゴっついカメラで撮影している自分の姿の初めて聞く表現に、そーなのかぁと思いました。
森万里子のパフォーマンス「巫女の祈り」より
撮影:荒木隆久
 ということで今回の一つの目的がかない、内藤サンに「これからどーするの?」と聞かれ、とっさにミュンヘンの方に下りてオーストリア通ってスイスをななめにジュネーブまで行きますと答え、そーすることになりました。
 20:30内藤サンと別かれ、フランクフルトから東南へ伸びる高速でミュンヘンへ向けて出発。そろそろ暮れはじめた夕日の中で、車に入って来る、刈り取られた夏草の少しムっとしたにおいが印象的でした。
 8月18日午前3時。昨夜は、ミュンヘンの300kmくらい手前で突然眠気に襲われシートを倒して寝たんだということを思い出した。何故かニューヨークの蔡サンに電話すると、イスタンブールのことがだいぶ決まりかけているようで、ちょうど蔡サンがニューヨークを出るあたりに私もそこにいる予定なので、「いっしょに行けるといーです。」とかそりゃ簡単に言ぅーけど...いろんなこと考えながら走ってると国はオーストリアへ。ほどなく、アルプスの雪溶け水が激しく流れるイン川が高速と右へ左へと交錯しはじめ、同時に左右から山がせまって来る。この辺の山の天気は変わりやすい。なるほど、あっ雨だ。屋根閉めなきゃ、でもこれが手動で、おとなしくしばらく閉めてりゃいいのにそこは少しでも陽が差そうものならクルクルクルっ。あっ! 又〜ぁっ。
 インスブルックからスイス国境までの間は、いわゆるフリーウェイがせいぜい3分の1位で、残りはかなりの高低差をくねくねと走ることになり、道路地図からの予測をはるかに越える時間がかかってしまう。まあでもその分ちがった風情もあり、前にデっかいトラックなんかがいるのも、みんなで電車ごっこしてるみたいで楽しい。
 8月19日、午前4時前。そういえば昨日もチューリッヒを前にして寝に入ったなー。いやーしかしスイスは夏でも夜はとっても涼しくて、寝ボケながら2回位エンジンかけてヒーター入れてあっためたよなー。ほぼまんまるに近い月の下快調に進み、真っオレンジのおーきな太陽がバックミラーに浮かび出した頃、湖のほとりのローザンヌに到着。高速の出口の表示もフランス語、給油のスタンドの店員サンもフランス語で少し安心。ジュネーブの街中に入り、とりあえず駅のインフォメーションで大学の場所を教えてもらって近くに車をとめ、宮島サンがべニスかどっか行っていないので、学校の事務室で情報を仕入れ、工事中の、カウンターが壁にドォーっとくっついている建物を撮影。ポイントは路面電車、電車を入れ込みで。リヨンでも行こー。すぐフランスなので高速が有料に、フランは全然持ってないので下へ。ひまわり畑があったり、並木の下ズーっと続く道を走ったり、いつも心安まるフランスの田舎でありました。でもリヨンに着いたのは夕方でビエンナーレ会場も分からず、スゴイ美人の警官のおねーさんに教えてもらい、閉まる一時間前くらいに会場入り。何となく見ていたら、どーも聞き覚えのある音がして来てフラフラと近付くと森サンの作品で、やっぱり自分で撮ったのとかあるとついついそれを見てしまって。報告としてはおーきな会場でしたとゆーことです。
水戸芸術館・現代美術ギャラリーで
カメラを担ぐ荒木
 ということであとは一路フランクフルトへ。走った距離は2,288kmで、次なる撮影地ロンドン、川俣作品へとこの旅は続きます。

<灰塚アースワークプロジェクト>

いやー、よく走り回った。
灰塚入りしたのが8月26日。ちょっと出遅れ、用賀が10時、広島の山ん中にある灰塚に着いたのは、ウェルカムパーティーが始まって一時間くらいたった夜7時頃。今回でもう4年目になるらしい。灰塚ダムの建設に伴い水没してしまう広大な土地を“アースワーク”をキーワードに、みんなで何か考えようというのが“灰塚アースワークプロジェクト”だろう。だろう、というのが、これに限らず、なぁ〜んかおもしろそーでなぁ〜んかみんないっしょうけんめいやってるなぁーというものを追っかけてる身としては、ずい分いい加減ではありますが、せいいっぱいのとこです。今年の夏は、美術家1人に建築家2人の講師を囲み、二十数人の学生が、あーでもないこーでもないと2週間やるというもので、ちりぢりにそれぞれの調査やらパフォーマンスやらをやっているのを、撮って回った、回った。というのが9月の3日まで。でも、毎日10時間近く寝ていて、カメラ持って撮ってるか、食べてるか、運転してるか、ボーっとしてるか、寝てるかの、大変幸せな日々でした。夏少し前から、横浜のBゼミという現代美術の学校みたいなところで、ここ30年の間にそこにかかわった人達にビデオでインタビューをして回るという仕事が始まっている。3日の日は、その一人であり灰塚の講師も務める岡崎乾二郎サンへのインタビュー。その日のうちに一度灰塚をはなれ、翌日豊田市美術館を見学した後、4日午後3時伊藤武治サン宅で、これ又Bゼミのインタビュー。終わってから、平賀サンという書家の方のお宅(箱根湯本)へみんなでおじゃまして、由緒正しいお湯をいただきました。夜やっとうちに帰ったのもつかの間、移動のためのレンタカーを借りに行ったり、コピーをしたり。という間に朝が来て、今日の仕事場の溜池山王駅へ。9月30日に開業するこの地下鉄の新駅に、福田美蘭サンとアメリカのアーティスト、グレッチエン・べンダーの陶板でできた壁画が設置され、その除幕式でして、この模様は10月中に?フジテレビの日曜朝6時から放送の「テレビ美術館」で詳しくお伝えします。
 レンタカーを返したらタクシーで羽田へ。「運転手サン、最終便間に合いますよねえ?」、「さぁ、今日は五十日で金曜日だからねえ」という返事は気にかかりつつもグッスリ。着いてみたら、その前の便の出発前で、乗ることに。決めたのがチョっと遅く、又もや、今日は40kgの荷物と共にゲートまでカートで疾走、セーフ。という今飛行機の中で、明日灰塚の最終日、みんなの成果が楽しみです。さあ、寝よっ。

(1997.11 あらき たかひさ/アート・ドキュメンター)

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