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吉田文子氏とポール・シーメル氏
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展覧会として90年代の新風も興味深いが、1949〜1979の前衛を振り返るMOCAで開催された話題の"Out of Actions"も強烈なものがあった。2月のロサンジェルスはエルニーニョの影響で豪雨が続き、私が美術館に着いたその日も停電でインタビューが延期されてしまった。この展覧会のカタログの背表紙に自らの名前が入っているポール・シーメル氏は、大変エネルギッシュでマイクの録音レベルが振り切れるくらい声も大きくこれまた強烈であった。このインタビューは現在制作中の「田中敦子・もうひとつの具体」に収録している。延期になったインタビューは、様々なイベントと重なり、しかも雨で時間が押してしまった。あちこちを行ったり来たりするポール氏にコミニュケーションを取りながら、追いかけてくれたのは、ロス在住の吉田文子氏で、私の到着以前からいろいろなコミニュケーションを事前に取ってくれていて今回の収録は彼女のパーソナリティーによるところが大きい。
彼女は人工衛星の設計をしている旦那さんとマリナ・デル・レイに住んでいるが、アート・ディーラーと通訳をしながら、UCLAにも通っている。長年のアメリカ生活にもかかわらず、美しい日本語を話し、誰にでも気持ちの良い対応は大変好感の持てる存在で、彼女のそんなキャラクターが今回の収録を奇跡的に実現させてくれたと思っている。勿論、ポール・シーメル氏にも忙しい時間を裂いて、雨に濡れながらも駆けつけ協力していただいた。インタビューがどうにか終わったと思ったら、直後に消防署の検査で全員表に出されてしまい、間一髪のところであった。
展覧会は思っていたよりも規模が大きく、200名近い作家の作品が集められ、その作品数にも圧倒されるが、世界20カ国から作品を集めていて、会場には展覧のための区切られたブースがあるにも関わらず、それら作品の流れが国を越えて理解できると言う画期的なもので、新しい展開を予感させるものがあった。
パフォーマンスに関しては、ドキュメンテーション資料としてフィルムやビデオを通路各所に配置されたモニターに、5本程度のビデオがレーザーディスクに編集してあり、バーコードで自分の見たいものを選び視聴できる様になっていた。
オープニングは大雨にもかかわらず盛況で、夜9時を過ぎるとさらに夕食を済まして来る人たちであふれかえり、ごった返していた。日本の美術館でもこの時間帯にオープニングができないものだろうか。招待客はメンバーが中心で美術館を支える大衆の力を一番に感じる場面である。平日白昼の関係者の井戸端では、本来の意味合いは無い。また、今回の展覧会の特徴は、企業スポンサーを付けなかった事が挙げられる。なお、この"Out of Actions"は来年、東京都現代美術館に国際巡回する。全裸のモデルさんとコミニュケーションのある作品などは多分展示できないのではないだろうか。流石に随分問題を提起する作品が多かった。
暖かな?モントリオール
3月はモントリオールの国際アートフィルム・フェスティバルに行った。今回は「森村泰昌・女優家の仕事」のフランス語字幕版で参加した。今年のカナダは暖かいと聞いていたが、着いた翌日からマイナス10度以下が続いて結局は、モントリオールらしい一週間だった。映画祭の方は、昨年ほどインパクトのある作品に出会えなかったが、ギルバート・アンド・ジョージやメイキング・ゲティー・センターの様な長めの割と真面目につくられた作品に良いものが多かった様に思う。
モントリオールのこの映画祭に5回目というユーロ・スペースの清宮さんと「ベラスケスの小さな美術館/ラララ・ヒューマンステップス」の監督、プロデューサーとちょこっと飲みに行こうという事になり、「ちょこっと」は夜中2時までやっているフランス料理店のおかげで、どっぷりになったが、アート・ドキュメンタリーを作って発信している積極的な活動を知り、大変貴重なものとなった。
モントリオールに滞在して感じる事は、彼ら映画祭関係者だけでなく、またそれを見に来る人や、勿論まったく関係ない人までもが暖かく接してくれる。初めて行った時は、その歓待に驚いた。多分、日本人なら誰でも驚くのではないだろうか。
あなたはゲストだからと何回食事やお酒を御馳走になったか分からない。普段、忙しさのあまりに、見ず知らずの他人とのコミニュケーションを遮断しがちの私は、大変感銘を受けた。
そんな彼らの期待に応えるためにも、良い作品を作り、また参加したいと思うのは私だけではないはずだ。こんな、コミニュケーションがモントリオールの新しい文化を作り出しているのではないだろうか。今回、映画祭のスタッフから「どうして、アメリカもフランスもイギリスも映画祭に助成しているのに、日本は出してないのよ。」と尋ねられた。 制作費や渡航費を国から支給される彼らをただ羨ましいと眺めているだけでは、やはり駄目な様だ。
でも、日本の場合は予算が年度単位で運用されているので、時間がかかったり、既に応募ができなかったりするんだ、と言ってみても、「それはあなた次第ね。」と努力すべきという視線で、さらに「あなたにとっても、そしてあなたに続く人に取っても大事な事よ。」と続けられたので、来年はなんとかせねば、また言われそうだ。
時代を越えて語る映像
モントリオールから一旦撮影機材を取りに帰宅して、パリへ出かけた。取材で岡部あおみ氏とスタッドラー画廊へインタビューへ伺った時には、ため息のでるギャラリーの資料を拝見した。1955年に開業されてから開かれた展覧会ごとに、プロの写真家が撮ったオープニングやイベントの写真が山の様にファイルされていた。写真の中には既に亡くなられてしまった作家や数多くの美術界の重鎮の若き日の微笑みが、数多く残されていた。写真は自由に使って下さいと優しく微笑むジェントルマン、スタッドラー氏が印象的であった。
その後、具体美術協会の記録写真の保管管理をされている芦屋市立美術博物館で、ドキュメンタリーに使う写真などを撮影させて戴いたが、素晴らしい写真が多かったので、予定していた時間の3倍くらいかかってしまった。現代でも記録は大事だと言われていてもなかなか難しいのに、40年前の具体では、驚くほどに数多くの写真が中盤サイズで撮られている。フィルムの方も最近になって野外展のフィルムが発見されたりしているが、60年代のピナコテカの会館イベントの記録では3台以上のの8ミリカメラが同時に回っていた事がわかり敬服した。
その映像資産を今日の我々が見て、新たな発見や感動ができる事に唯々感謝する。
つづく
(1998.6 きしもとやすし/アート・ドキュメンター)
KYOTO ART TODAY
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