第5回アート・ドキュメンタリー映画祭

                                  清宮真理


 孤軍奮闘始めたと思っていたこの映画祭も、様々な人たちのサポートを得て、いつのまにやら今年で5回目を迎えることになりました。そのネットワークの拡がりは、表現方法のそれに比例していると私は思っています。そして、そんなボーダーレスでジャンル特定不可能なアート表現がますます増えていることは、今回のラインナップに名を連ねるアーティストの顔ぶれを見ても一目瞭然です。
 まず、今回ご紹介するアート・ドキュメンタリー作品群は、海外組が「ビョーク」、「ブレット・イーストン・エリス」、「プラネット・ドゥクフレ」といったところ。
ビョーク
 「ビョーク」は言わずとしれたポップスターですが、様々な音楽性をとりいれ、定義不可能な独自の音楽を、やはり誰にも真似のできない声とルックスで体現する歌姫。まさしくカリスマ的な彼女の魅力と、その音楽のルーツとなったアイスランドの氷河や火山といった圧倒的な自然美も楽しめる一編。
 「ブレット・イーストン・エリス」は、『レス・ザン・ゼロ』や、ウォール街で働くエリート青年が裏では猟奇殺人鬼と化す、というストーリーの暴力描写で大騒動となった『アメリカン・サイコ』を書いたアメリカ現代文学界の“バッド・ボーイ”エリスのドキュメンタリー。昨年上映した「ポール・オースター」が万人に高く評価される作家だとすると、B・E・エリスは常に賛否両論、それもより多く否の意見にさらされている作家でしょう。
さらに新作「Glamorama」は、ファッションとセレブリティに憑かれた90年代NYが舞台と、彼の目は常に同時代の都市に向けられ、“アメリカの病”へと形を変えた“アメリカの夢”を敢然と描き続けている。そこが、小説の芸術性以前に、私が彼に惹かれるところです。ある種ドキュメンタリーにふさわしい作家です。

ブレット・イーストン・エリス
 「プラネット・ドゥクフレ」は、アルベールビル五輪開会式の奇想天外な演出で、世界中の度胆をぬいたフランス人振付家・演出家・映像作家フィリップ・ドゥクフレが自ら演出した自画像的ドキュメンタリー。サーカス学校にもいたことがある彼の作品はつねにサーカスさながらの楽しさにあふれ、しかも洗練されたスペクタクルとして観客を魅了します。その魔術師の手によるドキュメントと、さらに今年来日公演が行われたばかりの『シャザム!』の原形ともいえる映像作品「アブラカタブラ」を2本立てで上映します。

 日本の作品について感慨深かったのは、今年は、この映画祭を当初から支援していただいている方々からの作品のお申し出をいくつもいただいたこと。土佐和紙を使った、タナカノリユキ構成・演出のファッション・パフォーマンス「和紙の身体」の記録映像は高知県立美術館から、岡部あおみさんがキュレーターをつとめるメルシャン軽井沢美術館からはジョルジュ・ルースの新作の制作過程を追った「ジョルジュ・ルース a ASAMA」(浅間山です)が出品されます。また、第1回からずっと大阪での上映をしていただいているキリンプラザ大阪が制作にもからんだ、流木を集めてトルソを作るアーティスト,岩崎永人のドキュメント「シダ脳」も加わり、少しづつ日本のアート・ドキュメンタリーの世界も活況を呈してきたかな、と嬉しく思っています。一方、ニューヨーク在住の日本人女性映像作家、水口さんが監督したアート・リンゼイのドキュンタリー「パブリック・ムービー」は、プロデューサーでもある水口さんから直接お話をいただいて、急きょラインナップに加えた作品です。
和紙の身体

 冒頭で、ネットワークと表現方法の拡がりと言いましたが、今回はつくづくそれを実感したセレクション・プロセスでした。いつものドキュメンタリー部門とは別に、フランス系のアーティスト10人が制作した映画を集めた国際巡回プログラム“Wide Screen”を、アート・ドキュメンタリー映画祭の一環として、北海道立近代美術館、広島市現代美術館、名古屋市美術館とともに開催するのもしかり、ソフィ・カルの「ダブル・ブラインド」を、今年の11月から始まる彼女の大規模な個展や書籍の出版にあわせて再映するのもしかり。
 こうなると、やっぱり2000年にはアート・ドキュメンタリー界(?)もみんなでミレニアム・イベントですかね? といったところでぜひ皆様も映画祭に足を運んでいただければ嬉しく思います。

(1999.10 きよみやまり/ユーロスペース)

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