ナポリの休日ー第5回ナポリ国際現代美術映画祭

                              岸本 康


チューリッヒの滑走路から見る森は美しく紅葉していた。
この先、ナポリへはローマまで乗り継ぎ、テルミニ駅近くで一泊し、電車で向かう。勿論、大阪からミラノで乗り継ぎ、ナポリへ向かうアリタリアが楽だが、先方の予算の都合で送ってもらったチケットがスイスエアーだったためだ。スイスエアーの機内サービスは良かった。食事はうまいとは言えないが、映画の途中で、おにぎりやアイスクリームを持ってきてくれる。機内もなんとなく美しい。ローマに向かった機内でも100分間の間に夕食が出た。カナダのバンクーバー〜モントリオールは飲み物だけで、おまけに酒類は御金を取られるのに、なんとサービスが良いのかと思ったが、これも国際線なわけだと理解した。

ローマに着いたのは夜の10時を回っていたので、空港は熱心な客引きのタクシー運転手以外、人がまばらで、ちょっと冷えた感じだった。一件だけ開いていたタクシー会社のカウンターでローマ市内までの予約をして乗り込む。40分ほどで夜間照明に照らされたコロッセオが現れた。ああ、ローマに来たんだ。

映画祭のオフィスがコーディネイトしてくれたホテルに着くと、とても疲れているのに気がついた。フロントの紳士は、待ってましたよと私宛の手紙を差し出した。封筒には、手紙と一緒にナポリまでの電車の切符が入っていた。「お疲れさま。明日の電車のチケットと時刻表です。このチケットでどの電車にも乗れますが、乗車時間のスタンプを駅で押して下さい。スタンプはプラットホームの最初の方にある黄色の機械で押せます。くれぐれも忘れない様に。では、ナポリで合うのを楽しみに。」
 とてもかわいい字で書かれた手紙で、私はすっかり元気を取り戻した。

ナポリ湾
電車はゆっくりとナポリに着いた。とてもゆっくりだ。映画の始まりのようなタイトルバックにも十分なくらいガタゴトとホームに入った。ここからはタクシーだ。私は20年前に1日だけローマから日帰りでナポリに来た事があったが、駅前もがらりと変わって、タクシーも正規なのが列を成している。
たまたま乗り込んだタクシーは若いドライバーだった。映画「タクシー」の発想が、この地から出てきている事を確信する走りで、ホテルまで疾走してくれた。途中、友達を乗せても良いかと聞くから、良いと言うと、助手席におやじが乗り込んで来て、二人でベラベラと話しだした。別に向かい合って話さなくても良いだろう、前を見てよと言おうかと思うと、ホテルに着いた。このときは運良く事故にはならなかった。
ホテル・ブルタニカは、窓からナポリ湾、遠くにベスビオス、サンタルチアの御城が見える申し分の無い部屋だった。よく、絵葉書になっているあの風景がそのままずっと見られるのは、大変な幸せで、夕暮れ時の赤く染まるナポリを見ながらのビールは、この世のものとは思えないものであった。

ローラ・トリソリオ(左端)

まずは、私をこの地に招待してくれた今回の映画祭のディレクター、ローラ・トリソリオに会うために彼女のスタジオへ行った。ナポリ湾に近いリビエラ・キアイア通りに面したヨーロッパらしい建物の中にスタジオはあった。スタジオというよりは、ギャラリーだ。出迎えてくれたのは、ローラのお母さんだった。70年代から御主人と一緒に現代美術のギャラリーを初め現在に至っている。壁に展示された写真を見ながらその歴史を聞くと驚いた事に、ボイス、トゥーオンプリー、メルツ、フレイバン・・・。何だか、すごい面々の展覧会が開かれていた。またトリソリオ家は、ナポリの沖合のカプリ島に別荘があって、そこに作家がレジデンスして作品を作っている。勿論、ボイスやメルツも作品を残している。その古い写真の中で幼い女の子がボイスと握手をしている。それが、ローラだった。


アナザーロ劇場
その夜に、映画祭のオープニングがあった。
どこの美術関係の映画祭に行っても、東洋人らしき人は私だけなの
で、なかなか輪の中に入れないような感じもあるが、逆にすぐに覚えてもらえるという特権もある。しかし、今回はほとんどの人がイタリア語を楽しそうにカッコ良く話すので、最初、その雰囲気についてゆくのにいささか気後れしていた。
映画祭を主宰しているローラに初めて会った。彼女の印象は、その優しい話しぶりだ。私には英語で話してくれるが、イントネーションはイタリアぽいが、なんとなくそれが、京都弁の様に聞こえる。「そんなん、かまへんえー。」とか。
会場には、パリから来たポンピドゥーのプロダクション部門のディバードさんと、文化コミュニケーション省のソイヤーさんがいて、私は顔見知りだったので、彼女たちとオーブニングの席に着いた。簡単なシンポジウムの後の上映は、ブラックウッドだったので、とても眠かった。私の横の席の人が、いつも彼のは眠くなると断言していたのが印象的だった。
上映の後は、おきまりの立食。劇場と言っても古典的な建物なので、廊下は狭く人があふれている上に、みんなよく飲みよく食べる。
イタリア語が飛びかう中で、流暢な英語を話す女子を発見。カティータという彼女はロンドンから来ていた。映画配給会社で働いていて今回は作品を物色しに来たらしい。少し前に着いたばかりで、お腹が減っているということで早速ヒザを食べに行く事になった。
ナポリはピザの発祥の地らしく、夜中1時ころまで開けているところが結構ある。どの店もマルゲリータは400円くらいで出しているので、ビールと合わせても1000円程度で、ちゃんと直火で焼いたピザが食べられる。賑わっているはずだ。
私たちは、初日のピザに満足し、タクシーで帰る事にした。背の高いタクシードライバーだった。乗った途端に彼は、世間話をはじめて、まずはカティータにどこから来たのかと訪ねて、「おーロンドン。」と振り向いて顔を見る。勿論、車は走っている。そして、御愛想に、私の方を見て、「どこから来たの・・・当ててみようか・・」とわざわざ振り向いて彼が私を見た瞬間、前方の車にドッカーンと追突。何で、急に止まるんねん・・と前の車の兄ちゃんと、喧嘩がはじまりそうだったのに、彼女は流石にラテンの乗りで、高らかに笑いだすし、私はその笑い声があまりに大きいので、私はその場を早く去りたい気分だった。彼女は胸を打って、私はすねをぶつけた様だったが、大した事は無いので、タクシーを乗り換えて、帰路に着いた。大変ナポリらしい初日になった。

10月のナポリは、日本に比べてとても暖かく快適な毎日だった。昼間は暖かいと言うより熱い。Tシャツで十分で、日差しも強くサングランスなしでは歩き回ることはできないくらいだ。私は滞在中にすっかり日焼けをした。
劇場入口
今年で5回目を迎えるナポリの国際現代美術映画祭は、現代美術についてのフィルムとビデオだけを集めている。そのため他の映画祭に比べて規模は小さいが内容的な質は高く、モントリオールで話題になった作品から今年制作の新しいものまで約30本を紹介している。会場はアナザーロ劇場というオペラハウスを小さくした様な古典的な劇場だ。
驚いたのは、この映画祭の入場料は無料で、希望者にはカラー刷りのカタログも無料で配布している。そのためかどうか分からないが連日盛況で、5階席までいっぱいになって、さらに座り切れない人がでるくらいで、これにも感心した。特に若い年齢層が多く、勿論会場はナポリっ子の活気で溢れていた。
上映は夕方の5時から12時をまわるころまであり、そんな時間まで誰が来るのかと思っていたが週末であったためかも知れないが大入りだった。

劇場舞台から

私は「森村泰昌 女優家の仕事」で参加した。舞台挨拶をしてほしいと言われ、招待されて来てしまったので尻込みするわけにも行かず少しだけ挨拶に立った。女優家の仕事を撮ったのは、もう5年ほど前なので、その頃思っていた森村泰昌はアーティストだけどアスリートみたいだったし、そういう部分が私の最大の興味だったという様な、まじめな話を最初にした。勿論、イタリア語の逐次通訳が付く。そして、6階席まで満員の大勢の人が見に来てくれていたので、その感じを森村さんに御土産として持って帰りたいのでと、舞台から写真を撮った。結構受けた。前説としてのつかみはOKであった。

ナポリは、治安が悪い、ちょっと怖い街という先入観があったが、夜中の車の渋滞の中を歩いて帰っても怖いと感じる場面に出くわさなかった。これは単に幸運だったのかも知れない。この映画祭の最初から毎回来ている文化コミュニケーション省のソイヤーさんは、パリの方がよっぽと恐ろしいと言っていた。



青の洞窟
映画祭の終わった次の日、1日だけ余裕があったのでカプリ島へ出かけた。こちらもポンペイと同じく観光客で大変賑わっている。青の洞窟へも行ったし、ケーブルで上へ上がって反対側の断崖へ散歩にも出かけた。大変美しい。美しいかたまりの様なこの島は、ハワイのそれとはまた違う美しさがある。この島に魅せられて居着いた人々の歴史的エピソードも数多いとか。
ああ、また来てみたい。

今回、映画祭に招待してくれたローラ・トリソリオに感謝すると共に、ナポリにも感謝。

(2000年11月 きしもとやすし/アート・ドキュメンター)


森村泰昌 女優家の仕事

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