OUR MUSEUM 制作記

                                 岸本 康


パリ市立近代美術館

この作品の制作を思いついたのは、1994年に今は継続されていないポンピドゥーセンターの国際美術映像ビエンナーレに参加した時の事だ。ビエンナーレの参加者には、主なパリの美術館入場券がプレゼントされた。映画の上映のない昼間は毎日美術館を観て歩いた。チケットの購入にも長い行列のできるルーブルやオルセーでは随分助かった。
 パリ市立近代美術館は特に企画展をやっていたわけでも無かったが、常設展がとても素晴らしかった。その常設展示の空間が私の幼少期に美術館を訪れた時に脳裏に焼き付いた何かを呼び起こしたような気がする。

 私は京都で生まれ育った。この企画を思いついた時、あの京都市美術館の空間は、もしかすると私の人生に何かしら影響があったのではないかと考えるようにもなった。そして、その歴史とパリ市立美術館の歴史があまりに酷似している事にも、何かの縁を感じ、さらに大きな興味を持つようになった。また、90年半ばは日本の各地に美術館が増えた時期でもあった。「箱もの」と言われ、美術館の存在意義が問い直されつつも革新的な変化は無く、海外の美術館が展開する活動からは隔たったものを感じずにはいられなかった事も制作の動機になっている。今回の作品は、その私の幼少期に体験したであろう京都市美術館の空間と歴史をパリの美術館のそれらと対比させながら、私にとって美術館とは一体何てあるのかを検証した非常に個人的なものである。


 こんな個人的な思いつきでも、取材させていただいた美術館は大変好意的に撮影や資料の提出などに対応していただき、完成に漕ぎ着けることができたことをまずはお伝えしておきたい。フランスでも、企画趣旨を伝えれば話はスムーズに進んだ。ただ展覧会の会期やインタビューの都合などで結局何回か訪問して撮影する事になった。メインとなる撮影は1999年と2001年に行っている。
 京都市美術館の方は1995年から撮影を始めた。丁度今回の映像でも紹介している美術館の創設期の資料が見つかった後で、大変タイムリーだった。
 当時、京都市美術館の学芸員だった中谷至宏氏は、その年に「京都市美術館前史」というレクチャーを美術館の友の会と、ギャラリーマロニエで行った。このレクチャーの概要が今回の作品の中で紹介している京都市美術館の歴史のバックボーンになっている。
 同じ95年に森村泰昌氏にもインタビューした。美術作品を展示する側としてあの空間をどのように考えているかということを聞きたかった。インタビューでは京都市美術館と近代美術館の建物を入れ替えてしまえば良いという事を話されているが、彼はその後この事を京都新聞にも書いている。

 京都市美術館は日本の美術館として2番目に誕生し、現在の建物は美術館として国内最古のものである。時代背景は決して明るいものでは無かった訳だが、新美術館の設立に対する人々の意気込み、特に関係者の美術館の内容を問う議論の中には現代に通じるものが数多くある。特にその結果誕生した美術館の空間は最近建設された美術館と比べても引けを取らない事が、何よりもそれらを証明している様に感じる。
 しかし残念なことには、現在もその意を引き継いでいるとは言えない状況がある。特に「貸館」が京都市美術館の一つの機能となってしまっている事は大変に残念なことだ。決まった常設スペースも無く、現代の展覧会に適合した様々な機能が欠落したままの状態である。そのために観光の名所にもなれぬままに、時が過ぎている。

 一方のパリ市立近代美術館は、価値の定まったコレクションと最新の現代作品を、一つの館に共存させながら魅力的な展覧会を展開している。その全てを取り仕切る館長のスザンヌ・パジェ氏のインタビューによって、私はこの作品を作る確信を得た。
 また、館に所属する多くのスタッフの目的意識のまとまり、すなわち個々の情熱が、美術館を形成していることを強く感じずにはいられなかった。

 また、美術館の新しいスタイルの一つとしてポンピドゥーセンターの近代美術館のひとつのセクションとして運営されているニューメデイアの活動を紹介している。空間を持たない展示スペースとしてインターネットを使う事もひとつだが、このセクションではプロダクション部門と共同で作家の作品制作のサポートを行っている。美術館が制作における様々な技術的、経済的サポートを行い作品を制作するシステムを構築している。
 最近は世界的に映像を使った作品が増えているが、特に技術的なサポートがなくては制作不可能なものもあることを考えると、画期的なシステムだと言える。

 パリの美術館は古い建物を利用しているところが多いが、内装は近代的なシステムを取り入れているところが少なくない。建築家は建物と作品の両方を理解しながら建物に手を加える。この事については近年、パリ市立美術館やポンピドゥーセンターの内装を担当した建築家のジャン・フランソワ・ボダン氏にも話を伺うことが出来た。
 そして、私が個人的に好きなジュ・ド・ポム国立現代美術ギャラリーの空間と歴史も岡部あおみ氏の解説で収録している。

 そして、最後はパリ市立近代美術館の西翼に2002年にオープンしたパレ・ド・トーキョーのディレクターの2人にも、今後の抱負を聞いている。2人の話を収録した日、ニコラ・ブリオ氏は御子息の誕生であまり眠られておらず、ジェローム・サンス氏も海外から前夜に帰国したばかりで、少し疲れぎみの中のインタビューだったが、話の中から彼らの個性ある活動の一端が見えてくるのではないだろうか。


 余暇の過ごし方とか、生涯教育とか、美術館へ行くということのとらえ方は人様々だが、果たして実際のところ美術館というものが、どの程度我々の人生に関わりを持っているのか、それは知る由も無い。
 日本では公共の施設だと言うことで、美術館の活動に対して評価基準をを設けるという事が行われるそうだが、その発想はおそらく美術館というものに大した影響も受けずに世を去られる方々の長物となるだろう。
 いつの時代も、評価基準というものに当てはまらない独創的な活動こそが、人の心に響き残る美術館、すなわち「生きた美術館」なのであるから。
 
2002.12      岸本 康  ディレクター

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