hatsu-imo: tabaimo1999-2000 初芋 / 束芋
作品概要:
制作年:
2001
音声テキスト:
束芋(アーティストステイトメント)
幼い頃、私は自分自身を特別な存在だと思っていた。算数の時間には頭の良い男の子
達と解答する速度を競っていたし、体育の時間バスケットボールをやれば、バスケ部
の顧問の先生にスカウトされるし、絵を描けば学校代表に選ばれる。何をやっても努
力せずに評価されていた。
戦争の悲惨さを勉強した時、死をひどく恐れるようになったが、その反面、人とは違
う特別な自分は、他の人がどんなに苦しんで死んでも、自分だけは無傷のまま助かる
自信があった。夜寝る時、世界の平和を祈りつつ、戦争が起こったらどのように逃げ
るかのイメージトレーニングをかかさなかった。その後中学に進み、過去の栄光をひ
きずり自分自身をのばしていこうとしなかった私は、どの分野においてもみるみるう
ちに落ちこぼれていった。高校もなんとか入学できたものの、すでに落ちこぼれの素
質を開花させていた私は、どん底までいった時はじめて自分が特別な存在などではな
いことに気づいた。勉強しなければ成績は下がるし、運動しなければ体は鈍る。絵は
いつの間にか落書きですらしなくなっていた。
何の取り柄もなく、普通の中の普通であること思い知った時、そんな私でも受け入れ
てくれる大学に感謝し、生まれてはじめて努力というものを経験した。そして、自分
自身が普通の人間であることを他の人よりも強烈に味わった今、普通である私の思い
をその他大勢の思いであると考え、自分の正直なところ(滑稽で汚く薄っぺらなとこ
ろ)をもの作りのコンセプトとして制作している。
Tabaimo (Artist Statement)
When I was very young, I thought I was an exceptional being.
I competed with smart boys on solving difficult mathematical problems.
I was spotted in PE class by a basketball coach and was asked to join his team.
My drawing was selected as a school representative.
Without making any effort,
I was always praised for everything I did.
When I learned about the misery of war,
I was fearful of death.
However, I was confident that
I, as a special being, could survive uninjured,
no matter how much others suffer.
Before going to sleep, I prayed for world peace,
while continuously pictured in me how to escape from wartime danger.
At Junior High School,
I stuck to the glory days of the past
and did not make any effort to develop my talent.
I quickly became a dropout in every field.
I barely entered into high school
and kept on sinking to the lowest of depths,
until I came to realize that I was not a special being.
Results get worse if you don't study,
muscles get softer without exercise.
As for paintings, I have even stopped scribbling.
When I realized my being as ordinary without any special talent,
I came to thank my university for letting me study there
and I made effort for the first time in my life.
That was a real experience,
in which I realized myself as ordinary,
much more strongly than anyone else.
Now I believe that the feeling of such myself is
exactly the same as those of many others
It is with these views
and my honest acceptance of myself
that I am engaging in my work.
メモ:
「初芋」と題したこのビデオは、束芋の最初の記録映像である。彼女の就職試験は失敗の連続だったらしいが、そのために作品発表の機会を得てしまった束芋は、1999年、京都の射手座というギャラリーで「にっぽんの台所」を発表した。そして、神戸アートビレッジセンター主催のアート・アニュアルで「にっぽんの横断歩道」を披露する。束芋は、なんとなくシステム化された日本社会にはめ込まれて育って来た「今の若者」の代表として「普通の自分」を表現している。私はその表現の器用さに驚かされた。高校時代、その生れながらの器用さに自惚れてドロップアウトした経験を持つ彼女は、普通でいる難しさを知っている。 まだ、たった4つしかない彼女の作品の、何がこれほどまでに私を惹きつけてしまうのか分からないが、もしかすると私は、この国「にっぽん」をもっと好きになりたいと思っている一人なのかもしれない。就職試験で束芋を採用しなかった「にっぽんの会社」に感謝したい。
2001年5月 岸本 康