制作記
(旧ADP news、コラム等)
昨年から今年にかけての制作記―岸本 康
「田中敦子 もうひとつの具体」を仕上げたのは昨年の夏だったが、実はその前にフランス語字幕版を先に仕上げていた。ポンピドゥーセンター主催の国際美術映像ビエンナーレの締め切りがあった為だ。どうせなら、英語字幕も作ってしまえと思い、全てが出来上がってパッケージに出来た頃には夏も終わろうとしていた。
テクノテラピー会場・大阪中之島公会堂 |
夏から秋にかけては、伊丹市立美術館で開かれた「アート遊園地」の作家のトークと展覧会、神戸アートビレッジセンターが毎年開く若手作家の発掘展「神戸アート・アニュアル」の作家紹介のビデオ制作をした。そして、その頃「テクノテラピー」の話を頂いた。今までに無い形の美術イベントという話を聞いて、興味半分でテクノテラピーの記録を引き受けた。
テクノテラピーはご覧になった方も多いと思うが、展覧会ではなく、現代美術のフィールドで活動している作家が集まって作った「文化祭」ではなかっただろうか。アトラクションと一言で言うには未完成だし、勿論、興業成績を上げる目的のものでも無かったはずなので、手作りの体験劇場はやはりアーティストの「文化祭」という言葉が私にはぴったりと来る。これを一つの映像としてまとめるには、様々な残し方が考えられるが、私は断片的なイメージとして、その現場にあった状況を繋げて「イメージ・オブ・テクノテラピー」とした。なんとなく、劇的なイメージも欲しかったのと、昨年はタイタニックなしでは語れない年だったので、気づく人は少ないかも知れないがタイタニックの雰囲気もオープニングでは使ってみた。
また、テクノテラピーの最終日に開かれた森村泰昌+多田正美のスペシャルナイトというステージも別途パッケージ化する事となった。こちらの方はステージの全容を完全収録したものだが、特に音が美しく録音されている(勿論、ビジュアルも美しい)ので、もしも視聴される時には必ずステレオで、できればきちんとした設備で大きめの音響で見て頂く事を御奨めする。ファンの方はMDなどに録音して常時携帯して頂いても、良いかもしれない。
テクノテラピーの収録が終わると、広島市現代美術館で展覧会があった西雅秋さんに同行した。西さんの作品は、そのコンセプトのもと、土の中に埋められていたり、川や海に沈めてあるものもあり、展覧するには掘り起こし作業が必要だ。何年かぶりに、地上に取り出して組み上げる。今回のドキュメントでは、北九州と宇部での作品の掘り起こしと、美術館での設置作業、展示、インタビューそして埼玉のアトリエに伺って、鋳造作品の制作を収録している。私は西さんとは全くの初対面だったが、掘り起こしに行った先の酒豪メンバーの歓待で、すっかりと打ち解けさせて頂いた。
西さんの埼玉のアトリエに行ったのは、ちょっとした偶然だった。インタビューの中のキーワードで、「鉄は一度湯になる。そして、またその時代の鋳型に収まる。」という様な部分がある。この言葉が気になったのは、12月にポンピドゥーセンターのビエンナーレに行って見た、アルバニアのコジという監督が撮った「オルタネイティブ・ヘッド」という作品を見た時だった。実はこのコジという監督は4年前のビエンナーレにも来ていたので顔見知りだった。若き日のユール・ブリンナーに似ていて目立つ人だが、とても真面目な人物で、その4年前には、国営映画会社の監督として、ビザをやっとの事で取得してやってきていた。で、その時の作品はギリシャ彫刻の様な彫像を作る彫刻家とその子供の心温まるフィクションで、35ミリの白黒で美しく撮られ、今時こんな映画もあるのかと、ある意味関心させられた。ところが、4年の月日は彼の生活を大きく変えていた。新作は、東側の英雄たちの巨大なブロンズ像が、主人公の彫刻家によって次々と新しい作品に生まれ変えられるというものだ。チェーンブロックでつり上げられたスターリンの銅像を見ながら、彫刻家は昔はこいつの歌をみんなで唄ったものさと、声高らかに英雄をたたえる歌をロシア語で唄う。とても、印象的だった。監督のコジ氏も、自分のプロダクションを持ち自主制作をしているらしい。時代は大きく変わっていた。
改装中のポンピドゥーセンター |
パリに滞在中に空いた時間をみて、テクノテラピーのシナリオを作った。シナリオと言っても、ドキュメンタリーの場合、すでに取材した映像をどう繋げて見せるかを決める作業なので、タイムラインに合わせてカットを決めて行く。素材テープをプリントアウトしたログノートを見ながら、真面目に仕事をこなした。
滞在最後の方で、以前から申請していたパリ市近代美術館の撮影許可の知らせがあった。なんと館長から直接電話をいただいた。撮影の意図は、作品の撮影ではなく、パリ市近代美術館の建物とその利用方法というか、空間の活用方法に私は魅せられているので、以前から映像にしたいと考えていた。1933年に万国博覧会のために建てられた古い建築を近年、大掛かりな改修工事を行い、見事な展示空間に仕上げている。とにかく、空間が美しい。その空気が美しいと言っても良いだろう。
丁度、ポンピドゥーセンターが改装中のため、パリ市近代美術館でポンピドゥーのコレクションを常設展示室を使って見せていたが、ポンピドゥーセンターで見た事のあるそれら作品は、美しい空間に配置されさらなる輝きを放っていた。空間が作品に与える影響が大きいものかと改めて感じると共に、ポンピドゥーセンターの改装の意図も少しは理解できた。
ポンピドゥーセンターのコレクションは、撮影許可申請をしていなかったので、収録はできなかったが、パリ市のコレクションと企画展示の撮影は、自由にさせて頂いた。常設のマチスの巨大絵画の部屋は、カメラを向けてドキドキする程に美しい。正直に申し上げて日本の美術館で、このように感じた事は残念ながらまだ無い。
個人的な撮影だったが、機材を持って遠路来た私たちを美術館のスタッフは忙しい中、親切に暖かく迎えて下さり、熱心に質問に答えて下さった。その熱弁から、今後益々この美術館は発展するであろう事が伝わると共に、やはりフランスの底力を感じ羨ましくも思えた。機会があれば、再度撮影に訪れたい。
パリ市美術館のエントランス |
パリから帰って、年末年始はテクノテラピーの編集に明け暮れていたが、西さんのドキュメントにも鉄が溶けて湯になるシーンがやっぱり必要だと思いながら、時間は過ぎて行った。テクノテラピーの収録では、参加作家に一切インタビューをしていなかった。テクノテラピーは最終的にどんなものになるのか誰も分からないまま、日々手探りで進化していたので、最終日になっても一体何であったのかという事は、多分個々の作家にとっても、あまり言葉でまとまらなかったのではないかと思う。そして、2ヶ月程経った頃に参加した作家に電話でインタビューした。参加メンバーは皆忙しい様で、なかなか捕まらなかったが、何とか最終的にはちょっとしたコメントを貰うことができて、最後の方にエッセンスとして付け加えてある。映像自体は、この時期こんな形で、こんなものがあったのだということを60分で、飽きずに見られるものを意識して作った。
そして、2月は東京都現代美術館の「アクション・行為がアートになるとき」の収録に出かけた。丁度1年前に、ロサンジェルスのMOCA に田中敦子さんの取材に行った展覧会が国際巡回の最終地としてやって来た。幸運にも興味を持っていたこの展覧会の記録番組制作の依頼を美術館から頂いた。
展覧会の関連イベントの一つに、篠原牛男さんのボクシングペインティングがあった。NHKの日曜美術館でも紹介されていたので、ご覧になった方も多いと思うが、丁度その日に西雅秋さんも来られていた。もしも、鉄を溶かす予定があれば・・という事を話すと、丁度2月の終わりごろに・・という事で、このちょっとした偶然がアトリエに伺うきっかけになった。
アクション展は作品点数が異常に多かったが、どれも重要(担当の岡村氏談)なので、とりあえずアクションなので、篠原さんではないが「こうなったらやけくそ」で、全て撮るということで、一週間ほぼ毎日展示室に立った。今回の収録は著作権などの関係から、現代美術館でだけ公開される番組となり、多分7月頃からビデオブースなどで公開されるのではないだろうか。もしも、展覧会をご覧になれなかった方は、何かの展覧会のついでにでも、是非ご覧頂きたい。
また2月は大阪のサードギャラリー綾の企画で、写真作家6人のインタビュー集の収録もあり、関西3人と関東3人の様々なタイプの写真家に会った。
このビデオは美術作品としての写真を女性写真家のライフワークを通して、作品と作家を様々な角度から紹介する。近く公開されると聞いている。
公開される番組となり、多分7月頃からビデオブースなどで公開されるのではないだろうか。もしも、展覧会をご覧になれなかった方は、何かの展覧会のついでにでも、是非ご覧頂きたい。
また2月は大阪のサードギャラリー綾の企画で、写真作家6人のインタビュー集の収録もあり、関西3人と関東3人の様々なタイプの写真家に会った。
このビデオは美術作品としての写真を女性写真家のライフワークを通して、作品と作家を様々な角度から紹介する。近く公開されると聞いている。
西雅秋さんのアトリエにて |
3月に入ってすぐに、西雅秋さんのアトリエに伺い、その後、編集に取りかかったが、最終的に音楽が決まらず、音楽の制作を依頼する事になった。ドキュメンタリーの作品には音楽は付き物の様に思われるが、私としては、音楽やナレーションで演出されすぎのテレビ番組の様な映像は、押し付けがましくて好みではない。かと言って、全く音楽の無いままに映像を見せるには、それなりの素材も必要だ。海外の作品を見ていると明らかに日本人はやらない様な音楽の使い方をしているものもあって、最初は違和感があったが、最近は新鮮に感じる様になった。セオリーとしてはヨーロッパ、特にフランスのドキュメンタリーは御決まりの音楽と低い声のナレーションで、雰囲気を醸し出すが、どれを見ても同じような作りで、疲れる事が多い。一方、最近のアメリカやカナダの作品には、突飛な音楽を使ったものがあり印象に残る。勿論、いろいろなタイプがあって良いと思うが、やはりセオリーを追及しては面白く無い。難しい選択かも知れないが。
そして、4月。私は不覚にもこの年で水疱瘡にかかってしまった。過労だった事もあるのかも知れないが、5日程、39度以上の熱が続き、発疹は特殊メークの様に自分でも気持ち悪くなるくらい出て、物も食べにくい状態が続き、一言で言うと地獄だった。人間そういう事態に追い込まれるといろいと考えさせられる事も多い。特に今回は、今まで悩んでいた仕事上の問題を解決するに良い機会となったのかも知れない。
7年半続けたKYOTO ART TODAYの収録を打ち切る事にした。経済的にも労力的にも、精一杯のところで続けて来たが、どちらかと言えばずるずると続けて来たのかも知れない。「継続」という言葉を信じて。本当は10年間信じて続けたかったが、その前に今回の病気は運命的なドクターストップだった。一言で残念というのは簡単だが、結局のところ、KYOTO ART TODAYの様な資料映像がうまく潤滑する土壌がまだ出来ていない所に、一生懸命、種を蒔いていた。勿論、その土壌作りをやっていたのかも知れないが、方法として弱かった様にも感じている。
中には、重要性を感じて下さる方も少数ではあったが、確かにおられた事は私の励みになった。個人で買い続けて下さる方もおられた。
そんな方々の期待を裏切ってしまう事になってしまうが、今回辞める事を決断したさらに大きい理由として、「それ以上にやらねば成らない事」というのが随分見えてきた事がある。人生の時間は限られていて、それはそれほど長くは無いと思う。であるならば、選択は積極的でないと意味が無い。KYOTO ART TODAYは、次号Vol.29がいよいよ最終号となる。
(1999.5 きしもとやすし,/アート・ドキュメンター)