OUR MUSEUM
Intorduction
第21回モントリオール国際美術映画祭参加作品
美術館の空間が私に与えたものはー
美術館とは一体何なのか
作品と出会いながらも記憶の中には、その空間が宿る。
そしてその歴史をひもとくとー
私たちは、そこに何を求めているのか。
「美術館の空間が私に与えたものは何なのか。」
これは私が長い間考えて来た素朴な問いです。
私は子供の頃、よく美術館に連れられ出かけました。その思い出は、大きな展示空間や大きなドア、巨大な部屋です。子供の頃の美術館の記憶には美術作品はありません。この経験が「OUR MUSEUM」を作るきっかけになりました。
この作品では、京都市美術館、パリ市立近代美術館の創設からの歴史を振り返ると共に、ジュ・ド・ポム国立現代美術ギャラリー、パレ・ド・トーキョー、ポンピドゥーセンターのユニークな活動を多彩なインタビューと数々の展示空間で紹介します。
そしてそれらのインタビューは、私の疑問に答える形で、将来の美術館の方向性を示唆しています。
あなたにとって美術館とは何ですか?
登場人物 character
スザンヌ・バジェ(パリ市立近代美術館館長)
Suzanne Page´(Director, Musée d’art Modeme de la ville de paris)
パリで現代美術を見る選択肢はいろいろあるが、パリ市立美術館の「アルク」はいつも新鮮な企画で来館者を魅了する。本作品では、「生きている美術館」というパジェ館長のポリシーを様々な角度から検証する。
(from OUR MUSEUM)
私にとって、館長の位置は明確です。それは、自分の信じるもの以外はしないということです。自分の好きな芸術家だけを扱うということでありません。自分がその価値を信じない人を見せることは決してないということです。館長が確信をもたずにその芸術家を取り上げることは、私には考えられません。
中谷至宏(京都市美術館キュレーター)
Yoshihiro Nakatani(Curator, Kyoto Municipal Museum of Art)
本作品では、1995年の中谷氏による美術館友の会でのレクチャー「京都市美術館前史」の一部を紹介。このレクチャーは同年、一般向けにギャラリーマロニエでも実施された。中谷氏は2002年5月より、二条城学芸員を兼任。
(from OUR MUSEUM)
京都市美術館ができた時には近代美術館の先駆けとして作ろうとした、つまり、単に展覧会場をつくるのではなくて、そこではいろんな講演会をしたり常設展できちっと作品をみせるんだという心意気で語られるんですが、悲しいかな、当時には前例がなかったんですね。
ニコラ・ブリオ(パレ・ド・トーキョー国立アートセンター館長)
Nicolas Bourriaud (Director, Palais de Tokyo)
フリーランスのキュレーターを経て2000年からパレ・ド・トーキョーの館長としてジェローム・サンスとこれまでに無い実験的なアートセンターを模索。本作品ではパレ・ド・トーキョーの役割と抱負を紹介。
(from OUR MUSEUM)
様々な賭けをして、国際的・地球的な創造に対してパリをさらに開いていくこと、それがここで発展させていこうとしている機能です。
ジェローム・サンス(パレ・ド・トーキョー国立アートセンター館長)
Jérôme Sans (Director, Palais de Tokyo)
フリーランスのキュレーターを経て2000年からパレ・ド・トーキョーの館長としてニコラ・ブリオとこれまでに無い実験的なアートセンターを模索。本作品では、パレ・ド・トーキョーの建物の可能性や、スタッフの人選について語る。
(from OUR MUSEUM)
開館時間は、正午から夜12時までです。世界の多くの施設は行政時間にあわせていて、10時から18時が一般的です。その時間帯では、働く人のほとんどは展覧会を観にくることができません。
岡部あおみ(美術評論家・武蔵野美術大学教授)
Aomi Okabe (Art critic)
ポンピドゥ・センター「前衛芸術の日本」展コミッショナー、同センター「第2回国際美術映像ビエンナーレ」審査員。フランス美術評論家連盟、日本美術史学会会員。本作品ではパリ市立美術館の展覧会について語る。
(from OUR MUSEUM)
私は、たくさん展覧会を観ていますけれども、内部の展示室で、美術館の裏と表が逆になっているような感じで、内部の展示室でできた建築みたいなものが美術館として頭に残っているわけです。
森村泰昌(美術家)
Yasumasa Morimura (Artist)
有名な絵画や彫刻あるいは女優になるというセルフポートレートで知られる作家。最近はパフォーマンスや演劇、映画にも出演。本作品では、世界の美術館を知った作家の立場から、京都市美術館に寄せる想いを紹介。
(from OUR MUSEUM)
ふと思ったんですけど、京都市立美術館の向かいには京都国立近代美術館というのがありますから、このさい京都国立近代美術館というのと京都市立美術館をチェンジするというふうにしたらいいんじゃないですか。
やなぎみわ(美術家)
Miwa Yanagi (Artist)
エレベーターガールや最近のおばあちゃんのシリーズ等、写真やインスタレーションで知られる作家。本作品では学生時代から親しんだ京都市美術館への想いや、98年に京都市美術館で主催された「想いでのあした」で展覧に使った地下室の記録映像も紹介。
(from OUR MUSEUM)
ほんとにこう作家のインスピレーションをかき立てるような空間はすごく多いので、それは展示室に限らず、あの階段とか廊下とかホールとか。何かできれば面白いと思いますよね。
ジャン-フランソワ・ボダン(建築家)
Jean-Francois Bodin (Architect)
パリ市立近代美術館の近年の改装や、2000年のポンピドゥーセンターの大改装を手掛ける。本作品では、美術館建築や、美術館の改装についてのインタビューを紹介。
(from OUR MUSEUM)
私たちが最も重視したのは空間であり、その場所に置くものの永続性でした。なぜなら、美術館の所有者や使用者は改装時には努力をしますが、その数年後に、修正を加える予算や維持費があるとは思えないからです。
クリスティン・ヴォン・ナッシュ (ポンピドゥーセンター、ニューメディア部門チーフキュレーター)
Christine Van Assche (Chief curator, Nouveaux Médias du Centre Georges Pompidou)
ニューメディアセクションの活動として、このセクションに属する作家のインターネット上の百科事典の制作と、美術館が作家に対して技術的なサポートをして作品を作り上げてゆく活動を紹介。
(from OUR MUSEUM)
私たちは困難なプロジェクトをかかえた芸術家や新しいテクノロジーの使い方を習得したいと思っている芸術家を支援します。しかし、その後を引き継ぐのは彼ら自身なのです。
三木あきこ(パレ・ド・トーキョー国立アートセンターチーフキュレーター)
Akiko Miki (Chief curator, Palais de Tokyo)
ヨーロッパの公立美術館が初めて迎える日本人のチーフキュレーターとしてインタビューを紹介。
(from OUR MUSEUM)
ひょっとしたら失敗するかもしれない。だけれども、成功するかもしれない。とにかくそういう、実験的なことをひとつやってみようじゃないかと。
登場美術館 Museums
1933年に大礼記念京都美術館として会館。公立美術館としては2番目の会館で、現存する日本の美術館建築としては最古のもの。本作品では、美術館誕生に至る経緯や歴史を、紀要や設立委員会議事録から解説された中谷至宏学芸員*のレクチャーの記録を元に紹介。またこの美術館への想いを美術家の森村泰昌、やなぎみわのインタビューを交えて、京都市美術館について検証する。
京都市美術館
Kyoto Municipal Museum of Art
パリ万博のために1937年に建設されたが、戦争によって会館の延期が余儀なくされ、美術館としての会館は1961年になる。現在は近代美術はもとより、国内外の現代美術を広く紹介するプロジェクト「アルク」の評判が高い。本作品では、館長のスザンヌ・パジェのインタビューをもとに、美術館の歴史、現在の活動、美術館の館長とは、そして彼女のポリシーである「生きた美術館」について検証する。また、マチスの部屋の改装以降、この美しい美術館の改装を手掛ける建築家、ジャン-フランソワ・ボダンの美術館建築についてのインタビューも収録。
パリ市立近代美術館
Museé d’Art Moderne de la Ville de Paris
パリ市立近代美術館が東棟で、国立のこちらが西棟になる。国立近代美術館として1977年まで使われ、その後、国立映画学校などにも使われたが、2002年に国立アートセンターとしてリニューアル・オープンした。美術館で行われない実験的な芸術を常に発信させて行きたいと語る2人の館長、ニコラ・ブリロとジェローム・ドローマスのインタビューにより、これからの美術館を検証する。また、フランスの公立美術館で日本人として初めてチーフキュレーターとして抜擢された三木あき子のコメントも紹介。
パレ・ド・トーキョー国立アートセンター
Palais de Tokyo
パリの中心、チュルリー公園の北西に位置するこの建物は「ジュ・ド・ポム」と呼ばれるテニスに似た室内競技場として1861年に建てられた。その後、美術館として改築を繰り返し、印象派美術館を経て現在の現代美術ギャラリーに変貌した。しかし、外観においては建設当時の面影を残しつつ、内部空間を見事に現代作品を受け入れる美しい空間に仕上げている。本作品では、美術評論家の岡部あおみの解説により、ジュ・ド・ポム、パリ市立美術館の内部空間の紹介とともに、美術館の理想を投げかける。
ジュ・ド・ポム国立現代美術ギャラリー
Gallerie Nationale du jeu de Paume
パリを訪れる誰しもが訪れる場所として、このポンピドゥーセンターも重役を担っている。美術館、図書館、劇場、映画館などを有する巨大芸術センターは、内部に研究機関や制作機関もある。本作品では、近代美術館のひつとのセクションである「ニューメディア」部門のチーフキュレーター、クリスティーン・ボン・ナッシュの解説により、作家との作品制作におけるコラボレーションや、新たな取り組みとして Web内の作家データベースについて紹介する。
ポンピドゥーセンター
Centre Georges Pompidou
制作記 岸本 康
この作品の制作を思いついたのは、1994年に今は継続されていないポンピドゥーセンターの国際美術映像ビエンナーレに参加した時の事だ。ビエンナーレの参加者には、主なパリの美術館入場券がプレゼントされた。映画の上映のない昼間は毎日美術館を観て歩いた。チケットの購入にも長い行列のできるルーブルやオルセーでは随分助かった。
パリ市立近代美術館は特に企画展をやっていたわけでも無かったが、常設展がとても素晴らしかった。その常設展示の空間が私の幼少期に美術館を訪れた時に脳裏に焼き付いた何かを呼び起こしたような気がする。
私は京都で生まれ育った。この企画を思いついた時、あの京都市美術館の空間は、もしかすると私の人生に何かしら影響があったのではないかと考えるようにもなった。そして、その歴史とパリ市立美術館の歴史があまりに酷似している事にも、何かの縁を感じ、さらに大きな興味を持つようになった。また、90年半ばは日本の各地に美術館が増えた時期でもあった。「箱もの」と言われ、美術館の存在意義が問い直されつつも革新的な変化は無く、海外の美術館が展開する活動からは隔たったものを感じずにはいられなかった事も制作の動機になっている。今回の作品は、その私の幼少期に体験したであろう京都市美術館の空間と歴史をパリの美術館のそれらと対比させながら、私にとって美術館とは一体何てあるのかを検証した非常に個人的なものである。
こんな個人的な思いつきでも、取材させていただいた美術館は大変好意的に撮影や資料の提出などに対応していただき、完成に漕ぎ着けることができたことをまずはお伝えしておきたい。フランスでも、企画趣旨を伝えれば話はスムーズに進んだ。ただ展覧会の会期やインタビューの都合などで結局何回か訪問して撮影する事になった。メインとなる撮影は1999年と2001年に行っている。
京都市美術館の方は1995年から撮影を始めた。丁度今回の映像でも紹介している美術館の創設期の資料が見つかった後で、大変タイムリーだった。
当時、京都市美術館の学芸員だった中谷至宏氏は、その年に「京都市美術館前史」というレクチャーを美術館の友の会と、ギャラリーマロニエで行った。このレクチャーの概要が今回の作品の中で紹介している京都市美術館の歴史のバックボーンになっている。
同じ95年に森村泰昌氏にもインタビューした。美術作品を展示する側としてあの空間をどのように考えているかということを聞きたかった。インタビューでは京都市美術館と近代美術館の建物を入れ替えてしまえば良いという事を話されているが、彼はその後この事を京都新聞にも書いている。
京都市美術館は日本の美術館として2番目に誕生し、現在の建物は美術館として国内最古のものである。時代背景は決して明るいものでは無かった訳だが、新美術館の設立に対する人々の意気込み、特に関係者の美術館の内容を問う議論の中には現代に通じるものが数多くある。特にその結果誕生した美術館の空間は最近建設された美術館と比べても引けを取らない事が、何よりもそれらを証明している様に感じる。
しかし残念なことには、現在もその意を引き継いでいるとは言えない状況がある。特に「貸館」が京都市美術館の一つの機能となってしまっている事は大変に残念なことだ。決まった常設スペースも無く、現代の展覧会に適合した様々な機能が欠落したままの状態である。そのために観光の名所にもなれぬままに、時が過ぎている。
一方のパリ市立近代美術館は、価値の定まったコレクションと最新の現代作品を、一つの館に共存させながら魅力的な展覧会を展開している。その全てを取り仕切る館長のスザンヌ・パジェ氏のインタビューによって、私はこの作品を作る確信を得た。
また、館に所属する多くのスタッフの目的意識のまとまり、すなわち個々の情熱が、美術館を形成していることを強く感じずにはいられなかった。
また、美術館の新しいスタイルの一つとしてポンピドゥーセンターの近代美術館のひとつのセクションとして運営されているニューメデイアの活動を紹介している。空間を持たない展示スペースとしてインターネットを使う事もひとつだが、このセクションではプロダクション部門と共同で作家の作品制作のサポートを行っている。美術館が制作における様々な技術的、経済的サポートを行い作品を制作するシステムを構築している。
最近は世界的に映像を使った作品が増えているが、特に技術的なサポートがなくては制作不可能なものもあることを考えると、画期的なシステムだと言える。
パリの美術館は古い建物を利用しているところが多いが、内装は近代的なシステムを取り入れているところが少なくない。建築家は建物と作品の両方を理解しながら建物に手を加える。この事については近年、パリ市立美術館やポンピドゥーセンターの内装を担当した建築家のジャン・フランソワ・ボダン氏にも話を伺うことが出来た。
そして、私が個人的に好きなジュ・ド・ポム国立現代美術ギャラリーの空間と歴史も岡部あおみ氏の解説で収録している。
そして、最後はパリ市立近代美術館の西翼に2002年にオープンしたパレ・ド・トーキョーのディレクターの2人にも、今後の抱負を聞いている。2人の話を収録した日、ニコラ・ブリオ氏は御子息の誕生であまり眠られておらず、ジェローム・サンス氏も海外から前夜に帰国したばかりで、少し疲れぎみの中のインタビューだったが、話の中から彼らの個性ある活動の一端が見えてくるのではないだろうか。
余暇の過ごし方とか、生涯教育とか、美術館へ行くということのとらえ方は人様々だが、果たして実際のところ美術館というものが、どの程度我々の人生に関わりを持っているのか、それは知る由も無い。
日本では公共の施設だと言うことで、美術館の活動に対して評価基準をを設けるという事が行われるそうだが、その発想はおそらく美術館というものに大した影響も受けずに世を去られる方々の長物となるだろう。
いつの時代も、評価基準というものに当てはまらない独創的な活動こそが、人の心に響き残る美術館、すなわち「生きた美術館」なのであるから。
2002.12 岸本 康 ディレクター
パリ市立近代美術館
論文
Documenting and Mediating The Museum:
A Case Study of the Documentary Film,
Our Museum
潘 夢斐 Mengfei PAN
OUR MUSEUM
2002年 監督・岸本 康 本編 57分
日本語 仏語 English Subtitles French Subtitles
第21回モントリオール国際芸術映画祭参加作品