oimo: tabaimo -2003- 束芋
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束芋のドキュメンタリー第二弾。内外の多くの展覧会に参加して世界へ羽ばたき、26歳の若さで出身大学の教授に就任した束芋。現代日本の日常風景をモチーフとすることが多い彼女は、社会をどのように観察し制作に取り組んでいるのだろうか。
本作は、2001年に横浜トリエンナーレへ最年少で参加し話題になった「にっぽんの通勤快速」をはじめ、観客参加型の作品である「にっぽんの御内」や、「お化け屋敷」など近作の紹介と束芋へのインタビューで構成されている。子供の頃に描いた絵を見ながら語る束芋や、学生の時に制作した「にっぽんの台所」の前身となる作品、海外での展覧会の設置風景なども収録されている。「にっぽんの通勤快速」「ユメ ニッキ・ニッポン」「にっぽんの御内」「お化け屋敷」の4作品のほぼ全体を個別に見ることができる付録が付いている。
収録作品
にっぽんの通勤快速
Japanese Commuter Train 2001
通路をはさんで左右に3面ずつ、6面のマルチスクリーンを駆使した映像インスタレーション。通路に立つ観客は、まるで自分も乗客であるがごとく、車内で起こる出来事に包まれる。鶏の鳴き声にのせて人々の口から流れ出す言葉の断片が、週刊誌の中吊り広告に収まっていく。子供の首を吊り革に引っかけ、抱いていた赤ん坊は棚に置いて去っていく若い母親。鳴りだした携帯電話からのびる赤い糸に誘われるように窓から飛び出す女性。スポーツ新聞から取り出した野球選手をネタに寿司をにぎる職人。女子高生をネタにした寿司を賞味するサラリーマン。チカンの腕が折りとられて床に積み重なっている。捕まったチカンを閉じ込めた車両も、とかげのしっぽのごとく切り離される。ほとんど誰もいなくなった車内を掃除する係員。居眠りをしている乗客は線路の上に取り残される。 撮影場所:横浜赤レンガ倉庫(横浜トリエンナーレ会場)、2001年
ユメニッキ・ニッポン
dream diary -NIPPON 2002
2000年のバージョンである1面スクリーンの映像に加えて、2つのプロジェクターが追加され、左右の壁面にも時々丸い映像が浮かび上がる。正面の映像では、花札を思い起こさせる背景にカタカナで鏡像文字が書かれていく。そのうちの一語だけは鏡像ではなく普通に書かれている。ダツイ(脱衣)、レットウカン(劣等感)、キョウイク(教育)…。裸の女性がランドセルを背負う。その指はどこまでも伸びていくはずなのだが、不意にはさみで切られる。皮膚に湿疹のある女性は、ふくらむと湿疹が消え、しぼむと湿疹が出ることをくり返す。牛から肉が切り出され、妊娠した女性からは胎児が取り出される。
撮影場所:水戸芸術館現代美術ギャラリー、2002年
にっぽんの御内
Japanese interior 2002
観客参加型の映像インスタレーション。茶の間を模したセットの中で、観客はちゃぶ台にすわり、ネズミ型のマウスと足下にあるフットスイッチを使って正面の映像を操作する。茶の間から台所、子供部屋、浴室、トイレなどを自由に行き来することができ、家具をクリックすることによって、それぞれの部屋で起こる出来事を目の当たりにする。「にっぽんの台所」や「にっぽんの湯屋」に出てくるエピソードが取り入れられている場合もあるが、さらに内容を発展させたものもある。台所の主婦は、「高級男性脳」と記された瓶詰めを使用し、鍋で煮立つ脳から出てくる裸の女性たちをすくっては捨てる。テレビの料理番組では、1組の男女をミキサーにかける料理を紹介しているが、見ている主婦はあふれるほどの男女をミキサーに入れる。茶の間の畳の下からは、ネズミ達が這い出してくる。登場人物である主婦、男子学生、女子高生は部屋を行き来していても、互いに交わることはない。
撮影場所:ベルギー王立美術館(ブリュッセル)、2002年
お化け屋敷
Haunted House 2003
投影された映像が半円を描きながら行ったり来たりする1面のインスタレーション。画面が四角い初期バージョン(現在は円形)である。観客は、住宅地の各家庭で展開する出来事を望遠鏡を通して覗き見ているような感覚である。水色とベージュを中心とした明るい色調とポップな音楽が醸し出す軽妙な雰囲気とは裏腹に、部屋の中では、殺人や自殺が淡々と行われている。登場人物たち(あるいは彼らの想念)がゴジラのように巨大化し立ち上がってくる後半は、一見平和に見えた日常が一瞬にして崩壊していく怖さを感じさせる。
撮影場所:康ギャラリー(東京)、2003年
制作記
oimo 制作記
束芋の作品の中に描かれている日常に起こるかもしれない不気味とも言える状況にも似た事件が、このところ絶えない。通り魔、監禁、強盗、窃盗。種類も豊富なら内容も複雑怪奇で、おまけに犯人も逃走してしまうケースが後を絶たない。
インターネットやハイテクは、本来、人に時間やゆとりを生むはずのものだ。しかし、現状はどうだろう。便利になった代償として、本来の人とのコミニュケーションも奪ってしまいつつあるのではないか。特に電子メールや携帯電話は、一見コミニュケーションツールなのだが、現実はちょっとした孤立感をはぐらかす道具としての依存度が高いのではないだろうか。
「焼き芋」を例にあげよう。
どこの街にもお芋屋さんというのがあった。勿論、専門店もあるが、八百屋さんが御芋を焼いているところもあったと思う。「焼き芋、5つ。」「今2つしかあらへんわ。次のはまだ、ちょっと焼けてへんから待ってて。」「何分くらい。」「そやな、あと5分くらいかな。」「今日は寒いからよう売れてナぁ。」「こんにちは。」「お芋2つ。」「おばちゃん2つやし、先にあげてかまへんか。」「ええよ。」「おおきに。」
街での当たり前の会話だった。今回のタイトルはここから来ている。
単に束芋の芋と引っかけたわけでもあるが、私の幼少期のニックネームでもあった。冒頭と最後には御芋屋さんのシーンを入れた。
先日、マイケル・ムーアの痛快なドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見た。監督はアメリカでの銃による死亡者が年間1万人を越え、日本の37人、カナダの165人と比較にならないほどの数に頭を悩ませる。これを見ると日本はとても安全で、銃では死なないかも知れない。だが、日本の自殺者はアメリカの銃による死亡者の倍以上、3倍にまで達する勢いだ。
これにはインターネットや携帯電話も関係が無い事は否定が出来ない。欧米でも携帯電話は小型化されたが、電子メールの端末として使う人は少ない。
日々の生活の中で自然と育まれるはずだった心のゆとりや、知らずして癒されるコミニュケーションの場面が日常から消えて来ている事を、もう少し時間をかけて考えなければならない気がしてくる。
束芋の作品にはそんな現代の社会へ対しての警告が包まれている。
おそらく束芋の人気はこのようなところから来ているのではないだろうか。現代社会で誰もが感じながらも形にしなかったもの
ある日、束芋の展覧会へ行った人からメッセージが届いた。「日本から彼女のような人が出てくれるのを、ひょっとしたら私は待っていたのかもしれません。」と。私も初めて彼女の作品を見た時に同じようなことを思った。そしてその時から彼女の活動を記録することにした。あっと言う間に国外からも多くの展覧会に誘われるようになり、26歳で大学教授。彼女のこの5年間は目まぐるしい日々だったに違いない。
一貫して変わっていないのは、彼女の制作スタイルだ。丁寧に描かれた彼女の原画はコンピューターで動画に仕上げられるが、通常は見えない部分のディテールや色彩にまでこだわり、画面に魂を持たせるべく作り込む。
今回のドキュメンタリー「oimo」では、彼女のそんな近況のほんの一部分がお伝えできればと思う。
oimo: tabaimo -2003-
2003年 監督・岸本 康
oimo 本編 34分 + 37分
日本語・English Subtitles・French Subtitles
2004年アーゾロ国際芸術映画祭参加作品